太平洋戦争の終戦から今年で80年。
海と日本プロジェクトinしまねでは、島根県の「海」でもあった”戦争”を一部振り返ってみたいと思います。
「美保関事件」は昭和2年(1927年)8月24日、松江市美保関沖であった旧日本海軍の演習中、軍艦4隻が立て続けに衝突し、1隻が沈没、119人が犠牲になったとされる事件です。
沈没した駆逐艦「蕨(わらび)」は2020年に美保関沖の日本海で見つかっています。
沈没地点に近い美保関灯台には、当時の資料が展示され、その一端に触れることができます。
出典:FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/articles/-/227639?display=full
この他、
太平洋戦争では、山陰沖に機雷が投下されたり、
日露戦争では、日本海海戦でロシアの運送船「イルティッシュ号」が島根県沖で沈没し、乗組員235名が上陸、投降。島根の人たちは手厚く看護したという記録が残されています。
終戦から80年以上の月日が経ちますが、島根の海でも、かつて”戦争”があったという事実を、ここに記しておきたいと思います。